リレーコラム/その10「インタープリテーションをインタープリテーションする!を考えてみる」

仲上美和 環境教育事務所Linoworks / 日本インタープリテーション協会フェロー

思いがけずバトンをいただき、これまでのコラムを再読させていただきました。一つひとつのコラムのテーマを深掘りするべく、書き手の方々と話したくなりました。みなさまぜひ一読を! 
好きなように書いていいよ、と言われましたが、読み手の層がわからないし、ハードル高いわんとちょっとビビっていますけれども、ありがたくバトンを受け取ります。
 
はじめまして。仲上美和と申します。現在は兵庫県の里山の片隅に個人事務所を置き、フリーランスのインタープリターとしてお仕事しています。以前は、日本インタープリテーション協会が法人化される前の、任意団体だった頃の協会にも関わりつつ、東京を拠点にお仕事していました。会社に所属していた頃は、毎日がインタープリテーション一色。毎日インタープリテーションとは何かを考え、語り、教え、実践し、インタープリターのみなさんと一緒にお仕事できるという恵まれた環境でした。
それが、活動拠点を西日本に移し、独立することになったら、あれれれ、、「インタープリテーション?なんですかそれ?」と言われ続ける日々。

自然体験活動や環境教育という言葉はある程度使われており、そういった活動を牽引する指導者や専門家がいることは認識されているものの、その方々はインタープリターとは別物(認識または自覚されていないだけ、という場合もあります)。インタープリテーションやインタープリターという概念は悲しくなるほどに認知されていません。同業の仲間に囲まれているうちは、言葉が通じるのであまり気にならないのですが、世間一般にはそれほどに知られていない、というのが現状です。私の周りだけかしら?みなさんの周辺ではいかがでしょうか?
 
インタープリテーションという言葉にこだわらず、その言葉を表に出さなくても、お仕事をすることは可能です。ご一緒する方々の認識や、関わる事案やお役目、目的に合わせて、自分ができることをしていけばいいだけですから。あえて説明しなくとも、私がインタープリテーションを活用していることには変わりはないのですから。一時期、自身の名刺やウェブサイトから「インタープリター」という名称を隠したことさえありました。
 
でも!ですよ、でも!
私はインタープリテーションの魅力と可能性に魅せられた一人ですから、その概念を実践だけでなく、言葉としても残し、多くの人や場に活用していただけるように、普及発展に貢献していきたい!という欲は捨てきれず。「言葉を使える、定義できる、というのは力だ」と昔お世話になった教授もおっしゃっていましたし。
 
では、どこから考え始めればいいのか?
 
今は、昔と違って、インタープリテーションを語る人が増え、書籍もあり、学校で教われるチャンスもあり、数限られるとはいえ、職業としてインタープリターが求められる時代になりました。ですから、インタープリテーションとは何か、という説明は、ネット検索すればすぐに見つかるし、関係者に聞けば何かしらの答えは手に入ります。
 
ただ、その多くは、身近にインタープリターがいるとか、憧れの職業(ガイドになるとか、国立公園や博物館などで働くとか)があって、その役割をつうじてインタープリテーションに関心を持った、という方がほとんどでしょう。インタープリテーションを知らない、というよりかは、特に関心もなく、知る必要性を感じていない方に「インタープリテーションとはこういうものですよ」と説明しても、まず受け取ってはいただけないですよね。
 
では、その、なんとなく関心がある、なんとなくもっと知りたい、という段階まで、どのようにお連れすればいいのか?
 
思い出すのが、私が初めてインタープリテーションに出会ったウン十年前のこと。
地方の田舎育ちなうえ、留学から帰国してすぐに上京、日本の社会にツテもコネも全くなかった若造の私が、ぼんやりとした夢だけを頼りにネットで探し当てたのが、インタープリテーション協会主催の「インタープリター・トレーニング・セミナー」の案内。
 
よくわからないままにセミナーを受講して、そこでインタープリターの方々や、参加者の方々と出会い、よくわからないままに(笑)感動と可能性をおぼえたことが思い出されます。
 
私の場合は直感的にインタープリテーション研修に飛び込めたのですが、私をそうさせたのは、当時の「インタープリター・トレーニング・セミナー」が、プロ養成講座でありながら、広報段階からセミナー開催に至るまで、他分野の初心者にも広く門戸が開かれていた(と感じさせた)からだったのではないかと思います。研修内容も学び深かったですが、畑違いの初心者にも分け隔てなくオープンであり、個性豊かなスタッフ陣のあり方に感銘を受けたのも、私がインタープリテーションに惹かれた理由の一つ。インタープリテーションという技術と、インタープリターの姿勢が合わさると、未来に素敵な可能性がひらけるのではないかと、初心者だった私は感じたのでした。
 
前置きの昔話が長くなりました。
つまりは、一般の方々に対して、インタープリテーションをなんとなく気になる存在にしていくためには、伝える側の姿勢も大切だよね、という話。
 
初めましての一般の方々に、インタープリテーションをインタープリテーションする。
伝えようと情熱を持って、対象者に関心を持ち、伝え方や体験をデザインする。このチャレンジ、まさしく「インタープリテーション」ですね。
 
インタープリテーションという技能や概念は、とても広く、深く、専門的でありながら汎用性があり、複雑でありながらシンプルであり、私も未だに「インタープリテーションとは何か」を一言で説明するのは難しいなと感じています。
これは唯一の答えだとは思っていないのですが、
「みえるものをつうじて みえないものを伝える」というインタープリテーションの基本を表す言葉をヒントにするとしたら、「インタープリター(みえるもの)をつうじて インタープリテーション(みえないもの)を伝える」という視点を、今すこし深めてみたいなと個人的に考えています。
 
インタープリターお一人おひとりの具体的な活動やプログラムはもちろん、関心ごとや姿勢、魅力、大切にされている価値観などのパーソナルな部分も含めて、外側にあらわれる部分を元に、インタープリテーションってなんだろうね?ということを知ったり、体感したり、考えたりしていただくきっかけをつくるチャレンジ。そういった、それぞれに魅力的な、生きた事例を目に見える形にしていくことも、インタープリテーションの認知を社会に広めていく助けになるのではないかと思うのです。

願わくば、全国津々浦々のインタープリターを訪ね、それぞれの活動やあり方を私自身が体感しつつ伝えていく、言うなれば「インタープリターをインタープリテーションする取材旅」なるものを、いつか実現してみたいなぁ。いつか、みなさんのフィールドや活動にお邪魔させていただけるチャンスが巡ってきましたら、インタープリテーションの可能性について語らえることを楽しみにしています!

私のフィールドの一つは「田んぼ」。
ありふれた、放っておくと消えてゆきそうな土地や資源も、インタープリターがいることで掬い上げられることがある。